いつか、やろう。
いつか、始めよう。
いつか、時間ができたら。

私たちは、この「いつか」をよく使います。
やりたいことを、そっと先延ばしにするときの、便利な言葉です。

でも、正直に言います。
その「いつか」は、たいてい来ません。

「いつか」は、日付のない約束だからです。
いつやるか決まっていないことは、いつまでもやらない。

「時間ができたら」と言う人に、時間ができる日は来ません。
時間は、勝手にできるものではなく、自分で作るものだからです。

あるとき、決めました。
自分の「いつか」を、全部「今週」に変えてみようと。

漠然とした願いに、日付を入れる。
小さくていいから、今週のどこかに、予定として置く。

そうしたら、驚くほど、実際に動き出しました。

「いつか」という言葉には、安心する力があります。
やっていないのに、やる気だけは満たされる。
「いつかやるつもりだから、自分は大丈夫」
そう思えてしまう。

でも、その安心こそが、いちばん危ない。
やる気で満たされて、行動しないまま時間が過ぎていく。

1年後、同じ場所で、また「いつか」と言っている。

やりたいことがあるなら、まず日付を入れてください。
「いつか」のままでは、夢は夢で終わる。
「今度の日曜の午前にやる」に変えた瞬間、それは予定になる。

予定になったものを、人は案外やるものです。

漠然とした「いつか」を、具体的な「いつ」に。
たったそれだけの、ひと手間。
そのひと手間が、止まっていた人生を動かします。

日付を入れると、「いつか」は急に現実になります。
今度の日曜の午前。
水曜の夜、九時から。
月末までに、一つだけ。

決めた瞬間、頭が動き出す。
段取りを考える。
必要なものをそろえる。

夢を夢のままにするのも、形にするのも、日付ひとつの差です。

「いつか」という言葉には、安心する力があります。
やっていないのに、やる気だけは満たされる。
その安心こそが、いちばん危ない。

1年後、同じ場所で、また「いつか」と言っている。
その繰り返しを断ち切るのが、たった一つの日付です。

あなたの「いつか」に、日付を入れるとしたら、いつですか?
世の中の非常識は、華僑の常識。華僑Jでした。