やめたほうがいいって、ほんとは分かってる。
この仕事、もう伸びないなとか。
この付き合い、だいぶしんどいなとか。
このやり方、前は通用したけど今は違うなとか。
頭では分かってる。分かってるのに、切れない。
で、自分に言うんです。
ここまでやってきたし。
もう少し様子を見てもいいか。
今やめたら、今までが無駄になるし。
せっかくここまで積んだし。
この「せっかく」、強いんですよね。
でもあれ、ほんとうにもったいないと思っているのかなと思うんです。
お金が惜しいとか、時間が惜しいとか、それだけじゃない気がする。
もっと奥にあるのは、たぶん別の痛みです。
過去の自分が間違っていたことを認めたくない。
そこなんじゃないかと思うんです。
これ、けっこう刺さる話です。
人って、損することより、自分の選択がズレていたと認めるほうがつらい。
あのとき、あれだけ信じていた。
これでいけると思っていた。
自分なりに覚悟もしていた。
時間も、お金も、気力も使った。
周りにも言った。
応援までされた。
それを今さら「違いました」とするのは、思っている以上に痛い。
だから切れない。
今の損を見てるようで、本当は過去の自分を守ってる。
これ、仕事でもほんとうによくあります。
ずっと力を入れてきた商品がある。
でも数字がもう厳しい。
反応も鈍い。
現場もどこか白けてる。
なのに会議になると、またテコ入れの話になる。
打ち出しを変えよう。
訴求をずらそう。
導線を見直そう。
価格を調整しよう。
もちろん、改善が悪いわけじゃない。
粘ることが必要な場面もあります。
でも、もう答えはだいたい出てるのに、
そこに手を入れ続けるときってあるんですよね。
なぜか。
それをやめると、
「今までの判断が違っていた」と認めることになるからです。
社長もつらい。
担当者もつらい。
関わってきた人みんな、少しつらい。
だから、終わらせる決断より、“まだやれる理由探し”が始まる。
気持ちは分かるんです。
かなり分かる。
でも、この時間が一番高い。
ここで失っているのは、過去のお金だけじゃないんですよね。
次に使えたはずの時間。
次に試せたはずの打ち手。
他の人材を活かせた余地。
つまり機会のほうを、静かに失っていく。
サンクコストって、
お金の話みたいに聞こえるけど、本当は執着の話なんです。
もっと言えば、自己否定の怖さの話。
たとえば上司と部下でもあるんですよ。
ずっと自分が育ててきた部下がいる。
かなり手をかけてきた。
期待もしてきた。
でも、どう見ても今の役割に合っていない。
本人もしんどそう。
まわりも気を使ってる。
配置を変えたほうがいい。
一回役割を見直したほうがいい。
頭では分かる。
でも動けない。
ここで役割を外すと、
「今までの育成が間違っていた」と見える気がするからです。
自分の見る目がなかったみたいで嫌なんです。
だから、なんとか今の場所で形にしようとする。
声かけを変えたり、会議の出し方を変えたり、目標設定をいじったり。
本人のためと言いながら、
実は自分の失敗を確定させたくないだけ、ということもある。
きつい話ですけど、あります。
で、こういうとき一番しんどいのは、だいたい本人なんですよね。
合っていない場所で、期待だけ背負わされる。
変えたほうがいい空気はみんな感じているのに、誰も変えない。
その状態、かなり息が詰まります。
恋愛でも、夫婦でも、友人関係でもそうです。
長いから切れない。
ここまで来たから、今さら戻れない。
相手に悪い。
自分も悪く見える。
あの時間は何だったんだってなる。
でも、本当に見たくないのは、時間が無駄になったことじゃない。
自分が、もう終わっているものを終わっていると認めることなんです。
ここが見えないと、人はやたらと「もったいない」を口にします。
でもその中身をよく見ると、惜しいのは投じたコストじゃない。
傷つく自尊心です。
過去の自分を否定したくない。
あの頃の判断をバカにしたくない。
頑張っていた自分を無駄にしたくない。
全部、人としてすごく自然です。
自然なんだけど、その自然さのまま生きると、
どんどん身動きが取れなくなる。
厄介なのは、真面目な人ほどここにハマることです。
いい加減な人って、案外切るんですよ。
見込みないなと思ったら早い。
でも誠実な人ほど、ちゃんと向き合おうとする。
なんとかしたいと思う。
ここまで関わったんだから、最後まで責任を持とうとする。
立派なんです。
ほんとうに。
でも、立派さが判断を濁らせることがある。
責任を取るって、続けることだけじゃないんですよね。
終わらせることも責任なんです。
向いていないものを向いていないと言うこと。
もう役目を終えたものを、終えたと認めること。
それって逃げじゃなくて、かなり勇気がいる。
経営だともっと分かりやすいです。
昔うまくいったやり方を、ずっと握っている会社があります。
今の市場では明らかにズレている。
現場も薄々分かってる。
若い人ほど違和感を持ってる。
でも変わらない。
なぜかというと、その成功体験が会社の誇りでもあるからです。
あれで食べてきた。
あのやり方で伸びた。
あの時代を支えてくれた。
だから、手放すことが裏切りみたいになる。
でも、本当は逆なんですよね。
過去の成功を大事にすることと、
過去の成功に縛られることは全然違う。
前者は資産になる。
後者は負債になる。
ここを分けるのが難しい。
サンクコストが怖いのは、お金を失うからじゃない。
目的を見失わせるからです。
本来は、これからどうするかを考えればいい。
この先、何に時間を使うか。
どこに人を張るか。
何を残して、何を切るか。
そこを見るべきなのに、頭の中がずっと過去に引っ張られる。
もう使ったお金。
もう戻らない時間。
もう終わった判断。
それを取り返そうとする。
でも、取り返せないんです。
ここ、残酷だけど事実です。
取り返せないものを取り返そうとすると、
今ある資源まで持っていかれる。
だから苦しくなる。
大事なのは、過去を無駄じゃなかったことにしようとしないことです。
これ、かなり大事です。
無駄だったかもしれない。
読み違えたかもしれない。
向いてなかったかもしれない。
信じたけど違ったかもしれない。
それでいいんです。
というか、それを認められる人のほうが、あとで強い。
なぜなら、
判断の軸が“自分を守ること”から“目的に戻ること”へ移るからです。
目的がズレると、人は過去を守り始める。
過去を守り始めると、今を失う。
今を失うと、次の選択肢まで減っていく。
もったいないですよね。
ほんとうに。
今必要なのは、あの頃の自分を責めることじゃないんです。
あの頃はあの頃で、そう信じる理由があった。
それでいい。
ただ、今の自分は今の現実を見ないといけない。
そこを分けることです。
過去の自分を否定しなくていい。
でも、今の現実まで一緒に否定してはいけない。
ここができる人は、切るときも変に荒れません。
冷たいわけでもない。
ちゃんと痛い。
ちゃんと惜しい。
でも、その痛みごと引き受けて前に進む。
それができると、人生のハンドルが戻ってくる感じがあるんです。
切るって、捨てることじゃないんですよね。
これ以上、自分の時間と未来をそこに埋めないと決めることなんです。
あなたが今「もったいない」と握っているもの、
本当にもったいないのはお金や時間ですか。
それとも、過去の自分が間違っていたと認める痛みですか?
世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。