あなたが「プライドがある」って言う時。
それ、本当にプライドなんでしょうか。
たぶん多くの場合、混ざってるんですよね。
見栄と、プライドが。
見栄って、悪者にされやすいんですけど。
私はそう思ってないんです。
見栄は、生き延びるための道具なんですよ。
嫌われたくない。
軽く見られたくない。
置いていかれたくない。
そうやって守ってきたものが、たまたま見栄の形になってるだけなんです。
ただ、その見栄が強くなると。
自分の現在地がズレるんですよね。
ズレた現在地から立てた作戦は、だいたいズレた結果になるんです。
プライドはポリシーである。
ここだけ、切って考えた方がいいんですよ。
プライドって、本来は他人と関係ないんです。
誰にどう見られるかじゃない。
これは私の基準です、って言えるもの。
それがポリシーなんですよね。
でも見栄は、他人の目で揺れます。
評価で揺れます。
空気で揺れます。
揺れるから、盛りたくなる。
できてる顔をしたくなる。
わかってる顔をしたくなる。
結局、その瞬間に何が起きるか。
助けがズレるんです。
アドバイスが刺さらない。
実行も続かない。
「頑張ってるのに変わらない」っていう苦しさに繋がるんですよね。
あなたがもし今、何かが伸びていないなら。
能力が足りないんじゃないんです。
努力が足りないとも限らない。
ただ、設計図の前提が盛られてる可能性があるんですよ。
たとえば、強そうに振る舞う。
全部できるように見せる。
大将軍みたいに話す。
その方が安全だから。
でも実態は、歩兵の装備のままなんです。
歩兵のまま大将軍の戦い方をすると、きついんですよね。
根性で前線に立って、燃え尽きる。
周りにも頼れない。
頼れないから、さらに強がる。
このループは、静かに人を壊します。
逆に、歩兵だと言えた人は強いんです。
「私はここまでしかできない」
「ここは弱い」
「ここは助けてほしい」
そう言えた瞬間から、戦い方が変わるから。
ただ、怖いですよね。
弱く見られたくない。
信用を失いたくない。
その感情は自然なんです。
だから責めなくていいんですよ。
でも、ポリシーを持つ人は。
その怖さを抱えたまま、真実を選ぶんです。
見栄を手放すんじゃなくて。
見栄の優先順位を落とす。
その代わりに、自分の基準を前に出すんですよね。
ポリシーって、派手じゃないんです。
誰かに褒められるものでもない。
ただ、自分が自分を裏切らないための線なんですよ。
「ここだけは誤魔化さない」
「ここだけは人のせいにしない」
「ここだけは逃げない」
そういう一本があると、人はブレても戻れるんです。
あなたの周りに人が集まらない時って。
実力の問題より、空気の問題が大きいんですよ。
強がってる人には、近づきにくい。
正しい顔をしている人には、本音を出しにくい。
でも、ポリシーがある人には寄ってこれるんです。
この人は基準で立ってるから、って。
だから今日、あなたにやってほしいのは一つだけなんです。
「私は何を守りたい人なのか」って、短く言えるようにすること。
人に言わなくていい。
心の中でいい。
メモでいい。
その一行が決まると。
見栄で作った目標が、静かに剥がれていくんですよね。
本当に欲しいものだけが残る。
その残ったものにだけ、力を使えるようになるんです。
強く見せる人生より。
自分基準で生きる人生の方が、長く勝てるんですよ。
世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。