同僚にイラっとする時があります。
返事が遅い。
仕事の詰めが甘い。
会議で決まったことを忘れている。
お客様への言葉が軽い。
締切ギリギリまで動かない。
自分は忙しい顔をしているのに、なぜか人には頼む。
その瞬間、胸の奥で小さく火がつく。
「なんでそんなに雑なんだろう」
「もう少し考えればわかるのに」
「こっちはちゃんとやってるのに」
「結局、最後にこっちへ来るじゃん」
口には出さなくても、顔には少し出る。
パソコンを閉じる音が少し強くなる。
返事が短くなる。
相手の名前を見るだけで、ため息が出る。
職場のイラつきは、なかなか厄介です。
家に帰っても残ることがある。
お風呂に入りながら思い出す。
寝る前にまた腹が立つ。
翌朝、顔を見る前から少し疲れている。
でも、ここで少しだけ見方を変えるといいです。
同僚へのイラつきは、相手の欠点だけを
教えているわけではありません。
自分が何を大事にしているかも教えてくれています。
雑な報告に腹が立つのは、
自分が信用を大事にしているからかもしれない。
締切を軽く見る人にイラつくのは、
自分が約束を重く見ているからかもしれない。
お客様への態度が気になるのは、
自分が商売の温度を大事にしているからかもしれない。
適当に会議へ出る人が嫌なのは、
自分が場の時間を大切にしているからかもしれない。
つまり、イラつきの奥には基準があります。
ただ相手が嫌いなのではなく、
自分の中にある仕事観が反応している。
ここを見ないまま相手だけを責めると、
イラつきはただの愚痴になります。
「あの人は本当にダメ」
「あの人は仕事が雑」
「あの人とは合わない」
「あの人がいるから疲れる」
言いたくなる気持ちはわかります。
でも、それだけでは自分の人生は上がりません。
愚痴は一瞬楽になります。
でも、見方は上がらない。
イラつきをただ相手批判に使うのか。
それとも、自分の基準を知る材料にするのか。
ここで差が出ます。
ある人が、同僚の仕事ぶりにずっと腹を立てていました。
「本当に確認が甘いんです」
「いつも最後にこっちが直すんです」
「何回言っても変わらないんです」
聞いていると、たしかに相手にも問題がある。
でも、少し深く聞くと、その人自身も苦しんでいました。
自分がやらないと不安。
任せても結局見直してしまう。
相手のミスが自分の評価まで下げる気がする。
上司からの信頼を失いたくない。
だから、つい抱える。
相手へのイラつきに見えて、実は自分の持ち方の問題も混ざっていたんです。
ここを分けると、少し景色が変わります。
相手の課題。
自分の課題。
職場の仕組みの課題。
これを全部一緒にすると、感情が大きくなります。
「あの人が悪い」で終わる。
でも分けて見ると、打つ手が見えます。
相手には、どこまで求めるのか。
自分は、どこから手を出しすぎているのか。
上司やチームには、どんな仕組みを整えてもらう必要があるのか。
イラつきが、判断材料に変わる。
これが大事です。
職場で人にイラつく時、多くの場合、目的が少しズレています。
最初の目的は、いい仕事をすることだったはずです。
お客様に迷惑をかけない。
チームで成果を出す。
期限を守る。
信用を積む。
自分も成長する。
でも、いつの間にか目的が変わる。
「あの人にわからせたい」
「あの人より自分の方がちゃんとしていると証明したい」
「あの人のせいで苦労している私を認めてほしい」
「あの人を変えたい」
こうなると、判断が濁ります。
相手の粗ばかり見える。
言い方がきつくなる。
必要以上に監視する。
心の中で見下す。
周りに愚痴をこぼして、同意を集めたくなる。
そして、チームの空気が少しずつ悪くなります。
相手も感じます。
「あの人、私のこと嫌ってるな」
「あの人には相談しにくいな」
「また何か言われそうだな」
すると、ますます連携が悪くなる。
イラつきが、さらにイラつく状況を作る。
職場では、これが本当によく起きます。
だから、イラっとした時ほど目的に戻る。
私は何を良くしたいのか。
この仕事で何を守りたいのか。
この人を責めたいのか、それともチームの流れを良くしたいのか。
自分の基準を押しつけたいのか、それとも必要な基準を共有したいのか。
ここに戻るだけで、言葉が変わります。
「なんでできないの」ではなく、
「ここが抜けると、お客様にこう見えるから、次から一緒に確認しよう」
「また遅いですね」ではなく、
「このタイミングで共有がないと、後工程が止まる。
次からここまでに一度出してほしい」
「適当すぎる」ではなく、
「この仕事では、最後の確認が信用に直結するから、
ここだけは外さないでほしい」
同じ不満でも、目的に戻ると伝え方が変わります。
相手を下げる言葉ではなく、仕事の基準を上げる言葉になる。
ここに成熟があります。
もちろん、何でも丁寧に言えば相手が変わるわけではありません。
何度伝えても変わらない人もいます。
責任を持たない人もいます。
人の負担に気づかない人もいます。
自分の甘さを直そうとしない人もいます。
そういう時は、距離や役割を見直す必要があります。
ただ我慢し続けるのは違う。
でも、そこへ行く前に、自分が何に怒っているのかは見た方がいい。
相手の態度に怒っているのか。
自分が大事にしている基準を軽く扱われたことに怒っているのか。
自分だけが背負っている状態に怒っているのか。
本当は上司に整えてほしい仕組みがあるのに、同僚に怒りが向いているのか。
ここを間違えると、怒る相手を間違えます。
本当は仕組みの問題なのに、隣の人を責める。
本当は上司が基準を出していないのに、同僚のせいにする。
本当は自分が断れないのに、相手ばかりを悪者にする。
これでは、現場は良くなりません。
イラつきは、雑に扱うと人を攻撃する材料になります。
でも丁寧に扱えば、構造を見つける入口になります。
これはかなり大きいです。
経営者も同じです。
社員の動きにイラつくことはあるでしょう。
報告が遅い。
数字への意識が薄い。
お客様への熱量が足りない。
幹部なのに考えが浅い。
自分ごとで動いていない。
社長から見ると、腹が立つ。
でも、そのイラつきの奥に、社長自身が大事にしている基準があります。
信用を落としたくない。
会社を守りたい。
社員にもっと視座を上げてほしい。
お客様に誠実でありたい。
この会社を次の段階に持っていきたい。
その基準自体は、とても大事です。
問題は、それが社員に伝わる形になっているかです。
社長の中では熱い。
でも社員には怒りとして届いている。
これでは、基準は共有されません。
社長のイラつきがそのまま出ると、社員は萎縮します。
基準として言語化されると、社員は学べます。
ここが分かれ道です。
「なんでこんなこともできないんだ」
ではなく、
「この会社では、ここを信用の基準にしたい」
と伝えられるか。
「危機感が足りない」
ではなく、
「この数字が落ちると、半年後にこういう影響が出る。
だから今ここを見る必要がある」
と景色を渡せるか。
イラつきを、そのままぶつけるのか。
基準に変えて渡すのか。
上に立つ人ほど、ここが問われます。
同僚へのイラつきも、部下へのイラつきも、
家族へのイラつきも、根っこは似ています。
自分が大事にしているものが、相手に軽く扱われたように感じる。
だから腹が立つ。
ならば、見たいのは怒りの表面ではなく、その奥にある大事なものです。
私は何を大事にしているのか。
どんな仕事をしたいのか。
どんな関係を作りたいのか。
どんな基準の人と働きたいのか。
どこまでは受け入れ、どこからは線を引くのか。
ここが見えると、イラつきに飲まれなくなります。
自分の軸が立ってくるからです。
軸がないイラつきは、ただの感情になります。
軸があるイラつきは、判断になります。
この違いは大きい。
人生を上げていく人は、感情をなかったことにしません。
でも、感情にハンドルを渡しません。
イラっとしたら、すぐ相手を裁くのではなく、一度見る。
これは私のどの基準が反応しているのか。
この基準は、相手に伝えるべきものなのか。
それとも、自分が勝手に期待しすぎているものなのか。
伝えるなら、どう言えば仕事や関係が良くなるのか。
そこまで見る。
すると、感情が少し大人になります。
イラつきは悪者ではありません。
自分の中の基準が鳴らしているベルです。
ただ、そのベルを聞いて、相手を責めるだけで終わるのか。
それとも、自分の基準を言葉にして、現場を少し良くするのか。
そこに、仕事の器が出ます。
同僚にイラつく時、自分の基準が見えている。
その基準を、愚痴に使うのはもったいない。
人を見下すために使うのも、もったいない。
自分だけが我慢する理由にするのも、もったいない。
それは、本当は仕事の質を上げるための材料です。
あなたが最近、同僚や身近な人にイラっとした時、
そこには自分のどんな基準が隠れていましたか?
世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。