運のいい人になりたい。
誰もがそう思います。
運は、天から降ってくるもの。
くじ引きのように、当たる人と外れる人がいる。
そう思っている人は、多いかもしれません。
でも、運のいい人を近くで見ていると、共通点があります。
みんな、先に与えている。
自分の持っている情報を、惜しまず教える。
いい人がいれば、さっと紹介する。
困っている人に、そっと手を貸す。
見返りを求めずに、まず差し出す。
そういう人のところに、なぜか巡り巡って、いい話が集まってきます。
「あの人には恩がある」
そう思っている人が、あちこちにいるからです。
その恩が、忘れた頃に、チャンスの形をして返ってくる。
逆に、いつも受け取ろうとする人。
「自分が、自分が」と、取り分の話ばかりする人。
一時的には得をしても、長い目で見ると、人が静かに離れていきます。
面白いのは、本当に運のいい人ほど、見返りを計算していないことです。
「これをやったら、いつか返ってくるはずだ」
そんな下心で動く人には、なぜか返ってこない。
相手に、その下心が透けて見えるからです。
ただ与える。
損得を考えずに、目の前の人に手を貸す。
その積み重ねが、何年も経ってから、思わぬ形で戻ってきます。
これは、お人好しになれという話ではありません。
損をして、いい人ぶれ、でもない。
順番の話です。
受け取ってから与えるのではなく、与えてから受け取る。
この順番を守れる人が、最後にいちばん豊かになります。
商売の世界では、昔からこれを大事にしてきました。
まず、相手を儲けさせる。
自分の取り分は、そのあとでいい。
一回の取引ではなく、一生の付き合いを取りにいく。
与えるといっても、大きなことでなくていい。
知っていることを、少しだけ教える。
いい人を、一人つなぐ。
相手の話を、最後まで聞く。
その小さな一つひとつが、種になります。
まいた種を、いつ刈るかは、天に任せる。
見返りを数えないから、かえって大きく返ってくるのです。
受け取ろうとする人のまわりからは、人が静かに離れます。
与える人のまわりには、自然と人が集まる。
損得を数えず、まず差し出す。
その姿を、まわりは、ちゃんと見ています。
蒔いた種は、忘れた頃に、思わぬ形で返ってきます。
幸運は、待つものではありません。
自分の手で、先に蒔いておくものです。
あなたは今日、誰に何を与えられますか?
世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。