なんであの人はわかってくれないんだろう。
職場でも、家でも、たぶんこの手のため息は毎日どこかで落ちています。
ちゃんと伝えた。
こっちだって気を遣った。
普通そこは気づくでしょ、とも思う。
なのに、ズレる。腹が立つ。がっかりする。もういいや、となる。
人間関係って、相手との問題に見えるんです。
でも実際には、相手そのものより、自分の中に勝手に置いていた
“前提”にぶつかっていることが多いんですよね。
ちゃんとやってくれるはず。
このくらいは察するはず。
言わなくても汲んでくれるはず。
ここまで言えば変わるはず。
この“はず”が崩れたとき、人は相手に失望した気になる。
でも、よく見ると違うんです。
失望している相手は、目の前のその人じゃない。
自分の中で勝手につくっていた理想の相手なんですよね。
ここを間違えると、人間関係はずっとしんどいです。
相手を見ているつもりで、見ていないから。
見ているのは、その人にこうあってほしいという自分の期待のほう。
だから、現実の相手が見えない。
たとえば、仕事を任せたあと。
「終わったら共有してね」と言ったのに何も来ない。
こっちから聞いたら、「もう終わってました」と平然と言う。
ここでイラッとするのは自然です。かなり自然。
でも、その瞬間に起きているのは、単なる報連相不足だけじゃないんです。
自分の中にはたぶん、任せた以上そこは当然やるよね、という期待がある。
“仕事ができる人ならこうする”という基準もある。
それが裏切られたから、相手の行動以上に、感情が大きく動く。
このときに必要なのは、「なんでできないの?」と詰めることじゃない。
まず、自分の中に何を当然だと思っていたのかを見ることです。
当然って、怖いんですよね。
自分にとっては当たり前だから。
説明しなくても伝わると思ってしまうから。
でも、その当たり前って、相手にはないことがある。
もっと言うと、相手は相手の世界でちゃんと生きているんです。
その人にはその人の優先順位がある。
見えている景色がある。
大事にしている基準がある。
こちらが“常識”だと思っていることが、向こうでは別に重要じゃないこともある。
ここで人はよく怒ります。
なんでわからないの。
普通こうでしょ。
ちゃんとしてよ。
でも、その怒りって、相手のズレに反応しているようでいて、
実は“自分の基準を共有しているはずだ”という思い込みが壊れた痛みだったりするんですよね。
夫婦もそうです。
「言わなくてもわかるでしょ」が一番やっかいです。
わからないんです。
いや、正確に言うと、わかる場面もあるけど、毎回は無理なんです。
疲れてるの、見ればわかるでしょ。
なんで今それ言うの。
少しくらい気づいてよ。
その気持ちはよくわかる。
でも、人は自分ほど自分を見てくれません。
それを冷たいと切る前に、一度見たほうがいい。
自分は今、相手を見ているのか。
それとも、“見てくれるはずの相手像”に話しかけているのか。
職場の上司部下も、だいたいこれです。
上司は「言われなくてもやれ」と思う。
部下は「そこまで求めるなら最初に言ってほしい」と思う。
どっちも自分の中では正しい。
でも、ぶつかっているのは能力じゃない。
期待の基準です。
人間関係で何度もつまずく人には、ある特徴があります。
相手に期待してはいけない、という意味じゃないです。
そこじゃない。
期待を持つ前に、相手を見ていないんです。
相手はどんな人なのか。
何が得意で、何が雑で、何を大事にしていて、どこが抜けるのか。
何を言えば動くのか。
何を言ってもたぶん響かないのか。
この“現実の相手”を見ずに、理想の反応だけを待ってしまう。
だから、毎回がっかりする。
毎回裏切られた気になる。
でも、裏切られたというより、
最初から見積もりが甘かっただけかもしれないんですよね。
ここで大事なのは、冷めることじゃありません。
期待しない人になることでもない。
そんなふうに生きたら、人との関係はどんどん薄くなるから。
必要なのは、目的に戻ることです。
この人間関係で、自分は何を望んでいるのか。
わかってほしいのか。
前に進みたいのか。
ただ気持ちよくいたいのか。
信頼をつくりたいのか。
仕事を回したいのか。
ここが曖昧なまま感情だけでぶつかると、人は相手を責め始めます。
でも、目的が見えると、見方が変わる。
この人は察するタイプじゃない。なら、言葉にしたほうが早い。
この人は返事はいいけど抜ける。なら、確認の取り方を変えたほうがいい。
この人は優しいけど優先順位が弱い。なら、曖昧な頼み方をやめたほうがいい。
こういうふうに相手を現実で見られるようになると、感情に流されにくくなります。
期待が減るんじゃない。
期待の置き方が変わるんです。
人間関係って、わかり合えたらうまくいくわけじゃないんですよね。
相手をちゃんと見たうえで、
ズレるところはズレるものとして扱えるようになると、急に楽になる。
もうあの人に、勝手に理想を背負わせなくてよくなるから。
相手を見ない人ほど、期待で傷つく。
相手を見られる人ほど、関係を壊さずに済む。
たぶん、ここです。
あなたが最近しんどかった人間関係は、本当に相手の問題でしたか。
それとも、自分の中の「こうであってほしい」が、現実にぶつかっただけでしたか。
世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。