彼らは才能がないわけでも、努力を怠っているわけでもありません。
むしろ人一倍真面目に動いています。
でも最後には、同じように敗北していくのです。
なぜでしょうか。
それは「考えること」より「動くこと」で安心してしまうからです。
忙しさに酔い、汗を流した自分に酔い、「これだけやった」と自分を慰める。
でもその姿は、銃弾が飛び交う戦場で剣を振り回す兵士と同じです。
戦っているように見えて、実際には“自ら負けに行っている”に過ぎません。
もう一つの共通点は、視点の短さにあります。
今日の数字、今月の評価──それにしがみつきながら、本当に大切な未来を見失っていくのです。
安心を得るたびに、可能性を一つずつ捨ててしまいます。
さらに彼らは、他人を基準に生きます。
隣と比べ、上と比べ、周りの評価に振り回される。
その瞬間に、人生の主導権は自分の手から滑り落ちていくのです。
勝つ人間は、昨日の自分とだけ戦います。
負ける人間は、他人と戦っているつもりで、結局は自分を失っています。
だから負ける人は、能力の不足で負けるのではありません。
考えを止め、不安に流され、他人の目で生きる
──この習慣こそが静かな自滅をつくります。
そして厄介なのは、彼らが「変わりたい」と口では言うことです。
「次こそはやる」「今度は違う」
──その言葉を私は何度も聞いてきました。
だが本当に変わる人は、わずかしかいません。
なぜなら“言葉を外に出さずに”心の中だけで終わらせてしまうからです。
だからこそ聞きたいことがあります。
──あなたは今日、この場で何を捨て、何を貫きますか?
「変わりたい」と思うだけでは、人は一歩も動きません。言葉にした瞬間からしか、未来は変わりません。」
世の中の非常識は華僑の常識。華僑Jでした。