自分がやりたいことをやらなかったら
──その人生は、一体誰のものになるのでしょうか。

多くの人は「生活のため」「家族のため」「会社のため」と言い訳を並べます。
確かに、それは責任感のある立派な姿に見えるかもしれません。
その責任を理由にして「自分の軸」まで手放してしまったらどうなるでしょうか。

朝、鏡を見ても疲れ切った顔が映るだけ。
電車の窓に映るのは「誰かの期待に応えること」だけに追われる自分。
気がつけば、一日の中で「本当に自分が望んだこと」に触れる時間がゼロになっている。
その繰り返しが一年になり、十年になり、やがて一生になります。

恐ろしいのは「失敗すること」ではありません。
やりたいことをやらないことに慣れてしまい、そのまま心が静かに暗闇に落ちていくこと。
人は挑戦して傷つくよりも、挑戦しなかった後悔に一生苦しみます。
だから本当に怖いのは「できなかったこと」ではなく「やらなかったこと」なのです。

経営者も同じです。
「数字のため」「世間体のため」と言って、本当にやりたい経営を封じ込めた瞬間に、組織は冷めます。

部下がついて行きたいリーダーは、派手に挑戦する人ではありません。
「これだけは譲れない」という軸を貫いている人です。
その背中に、人は安心し、信じ、未来を託します。

我慢は一時的には必要かもしれません。
だけど、それを積み上げるだけの人生は、結局“誰のものでもない人生”に変わってしまうのです。

責任感に見えて、実は逃げだった。
安定に見えて、実は空虚だった。
その事実に気づいたとき、人は初めて「自分の人生を生きなかった」という絶望に直面します。

──もしあなたが部下なら、どちらの背中について行きたいでしょうか。
自分の軸を失い、誰かの期待をなぞるだけのリーダーか。
それとも、自分のやりたいことを生き、軸を示し続けるリーダーか。

「我慢で積み上げた人生は、最後に“空の器”として崩れ去ります。」

世の中の非常識は華僑の常識。華僑Jでした。