AIが、ずいぶん賢くなりました。
文章を書く。
調べる。
まとめる。
今まで何時間もかかっていたことを、一瞬で終わらせてくれる。

便利です。
おかげで、時間がごっそり空きました。

でも、ここで大事な問いが出てきます。
その空いた時間を、何に使うのか。

多くの人は、空いた時間に、また別の作業を詰め込みます。
効率化した分、もっと働く。

それでは、ただ忙しさが増えただけです。
何のために効率化したのか、わからなくなる。

私は、AIに任せて空いた時間を、
「人にしかできないこと」に回すと決めています。

会って、話す。
腰を据えて、考える。
現場に立って、肌で感じる。

数字にはならないけれど、いちばん大事なところです。

AIは、答えを速く出すのが得意です。
でも、「何を問うか」は決められません。
どこへ向かうかを決めるのは、今も昔も人間です。

道具が賢くなるほど、それを使う人間の中身が問われます。

中身が空っぽの人がAIを持つと、
空っぽの答えを、大量に出すだけになる。

ここで、静かな差が生まれます。
AIに任せて、その分ぼんやりする人。
AIに任せて、空いた時間で考える人。

同じ道具を持っても、数年後の姿はまるで違います。

考える時間を持てる人は、問いが磨かれていく。
問いが磨かれると、AIの使い方も深くなる。
使い方が深くなると、さらに時間が空く。
その時間で、また考える。

いい循環が回り始めます。

AIに任せられることは、これからも増えていきます。
だからこそ、任せたあとに何をするかで、差が開く。

空いた時間で、人に会う人。
空いた時間を、また作業でつぶす人。
空いた時間を、ただ溶かす人。

道具は同じでも、向かう先はまるで違います。
便利さは、使う人の中身を、そのまま大きく映し出します。

問いを立てる力は、機械には渡せません。
どこへ向かうか。
何を大事にするか。
それを決めるのは、これからも人です。

だから、空いた時間で、問いを磨く。
その一手間が、道具に使われる側と、使いこなす側を分けます。

便利になった今こそ、自分に問いたい。
浮いたこの時間で、私は何を深めるのか。

AIに使われるか、AIを使うか。
分かれ目は、空いた時間の使い方にあります。

あなたは、AIが空けてくれた時間を、何に使っていますか?

世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。