仕事は早い方がいいですか?遅い方がいいですか?
これ、質問としてめちゃくちゃ多い。
で、みんな反射で「早い方がいい」って言うんですよ。
そりゃそうだよね。早い方が助かる場面は山ほどある。
でも、ここで一個だけ言います。
「速い=偉い」になった瞬間、それは傲慢です。
僕が言う傲慢って、偉そうとか上から目線とか、そういう意味じゃない。
定義はこれです。
仮説を検証する前に、事実扱いしてしまう状態。
「早い方が正しい」
「早い方が優秀」
「早く出せる人が強い」
これ、検証してない“思い込み”が混ざりやすい。だから危ない。
そもそも速さって、何ですか?
速さは“移動”です。
到達じゃない。
先に走った人が、必ず先に着くか?
着かないよね。
道を間違えたら遠回り。
途中で事故ったら止まる。
そもそも、車で行く人と走る人で勝負してたら、
走った方がいくら速くても勝てない。
つまり、速さって“条件と前提”が揃って初めて意味がある。
でも現場では、これが起きる。
「とにかく早く」
「まず出して」
「走りながら考えよう」
この言葉が悪いわけじゃない。僕も言う。
ただし、前提がある。
前提は何か。
方向性が決まっていること。
最低限の設計ができていること。
失敗しても致命傷にならないこと。
この条件が揃ってるなら、早く出した方がいい。むしろ正義です。
でも、方向性が決まってないのに早く動くのは、ただの見切り発車じゃない。
時間の無駄遣いです。
これ、経営でも組織でも同じ。
「早くやれ」って言われた側は、当然こうなる。
ルートが見えないから、自分の要領でやる。
自分の解釈で進める。
自分の器量で埋める。
すると、ズレる。
ズレたら戻す。
戻したらまた急がされる。
急ぐ。ズレる。戻す。
はい、やり直し地獄。
このやり直し地獄って、社長側から見ると「遅い」に見えるんですよ。
でも実態は違う。
速さを求めるあまり、到達が遅くなってるんです。
ここで一番きついのは、現場の心が削れること。
頑張ってる。急いでる。必死でやってる。
でも「違う」「やり直し」「なんで分からないの?」って空気になる。
そりゃ人は守りに入ります。報告も遅くなる。提案もしなくなる。
そして最後は「主体性がない」って言われる。
違う。主体性が育つ前提を壊してるだけ。
だから、速度の傲慢をやめたいなら、やることはシンプルです。
まず、到達の定義を決める。
「早く」じゃない。
「何ができたら到達なのか」を言語化する。
ここが曖昧だと、速さを競うだけの地獄になる。
次に、通過点を置く。
いきなり10までやらせない。
まず1。終わったら見せる。次に2。
これ、当たり前だけど、できてない会社が多い。
社長は自分の視座で1→10のルートが見える。
でも相手は見えない。見えない人に「早く行け」って言うからズレる。
ズレたら、結果的に遅くなる。
最後に、ギアを分ける。
失敗しても致命傷にならないことは、早いギアでいい。
試して、外して、直せばいい。
でも失敗すると致命傷になるものは、遅いギアじゃないとダメ。
慎重に、確認して、余白を持って進める。
この使い分けができないのが、速度の傲慢です。
結局ね、速いのが偉いんじゃない。
到達できるのが偉いんです。
到達のために速さを使う。
速さそのものを成果と勘違いしない。
ここを間違えた瞬間、組織は荒れます。
最後に自分に問いを入れてください。
あなたは今、何を急がせてますか?
それは、本当に急ぐべきものですか?
「急ぐこと」が目的になってないですか?
速度の傲慢を捨てた瞬間、仕事は速くなります。
皮肉だけど本当です。
世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。