「ちゃんと言ったんですけどね」
人が動かないとき、よく出る言葉です。
伝えた。説明した。理由も話した。
なのに動かない。
だから、もっと分かりやすく言わないといけないのかな、
もっと強く言わないといけないのかな、となる。
でも、たいていそこじゃないんですよね。
言い方の問題に見えて、実は見ている場所がズレている。
相手が何を聞けば動く人なのかを見ていない。
そこなんです。
人って、正しいから動くわけじゃない。
これ、分かっているようで、現場に入るとすぐ忘れます。
会議で立派なことを言う。
方針も筋が通っている。
資料もきれい。
でも、終わったあと誰も本気で走っていない。
あるじゃないですか。
あの感じ。
言っていることは正しいんです。
でも、人の体が動くスイッチに触れていない。
たとえば上司が部下に、
「この案件、今期かなり大事だから。優先度高めで」
と言う。
間違ってない。
でも、それだけで火がつく部下ばかりじゃないんです。
この案件が取れたら、チームがどう変わるのか。
お客さんに何が返せるのか。
自分のどの力が試されるのか。
ここまで見えないと、ただ“また大事なやつが来た”で終わる。
上司からすると、何度も言ってるんですよね。
大事だって。優先だって。会社として必要だって。
でも部下の頭には、「で、私にとっては何なんだっけ」が残ったままなんです。
ここを雑にすると、人は動かない。
いや、正確に言うと、表面しか動かない。
言われたからやる。
怒られたくないからやる。
締切があるからやる。
このへんの動き方はする。
でもそれって、長く続かないんですよね。
工夫も出ないし、踏ん張りも出にくい。
苦しくなったら止まる。
当たり前です。
心までは動いていないから。
人を動かすって、つい“どう言うか”の話になりがちです。
伝え方。
言葉選び。
褒め方。
叱り方。
もちろん大事です。
でも、その前に見ることがある。
この人は、何に反応して動く人なんだろう。
そこなんです。
責任を渡されると燃える人がいる。
期待されると動く人がいる。
意味が見えると頑張れる人がいる。
逆に、急かされると固まる人もいる。
自由すぎると止まる人もいる。
競争で伸びる人もいれば、比べられた瞬間に閉じる人もいる。
当たり前なんですけど、みんな違う。
なのに人を動かせない人ほど、自分が動く理由をそのまま相手にも当てます。
自分が「責任」で動く人なら、責任を強く渡す。
自分が「期待」で燃える人なら、期待をかける。
自分が「危機感」で走れる人なら、危機感を煽る。
でも、相手は違うかもしれない。
ここを見ないまま言葉だけ工夫しても、そんなに変わらないです。
たとえば、社長が社員に向かって、
「もっと当事者意識を持ってほしい」
と言う。
これもほんとうによくある。
気持ちは分かる。
でも、“当事者意識を持つと何が起きるのか”が
その人の中で立ち上がっていないと、ただの圧なんですよね。
利益が増えるからなのか。
お客さんに返せるものが増えるからなのか。
自分の裁量が広がるからなのか。
会社が強くなるからなのか。
そこがないまま「もっと主体的に」は、正しいけど弱い。
人が動くときって、言葉に殴られたときじゃないんです。
自分の中の何かとつながったときなんです。
ああ、これは自分の仕事なんだな。
ここで逃げたくないな。
これができたら景色が変わるな。
この人の期待には応えたいな。
そういうものが一つでもつながると、人は急に動き出す。
逆にそこがないと、何回言っても空回りする。
コミュニケーションが上手い人って、話がうまい人じゃないんですよね。
相手の中にある“動く理由”を先に見にいく人です。
ここ、かなり大きい。
営業でも出ます。
商品の説明がうまい人が売れるとは限らない。
機能をきれいに話せる。
比較も上手。
資料も整ってる。
でも刺さらない。
なぜか。
相手が本当に解決したいものを見ていないからです。
相手は別に機能が欲しいんじゃない。
不安を減らしたいのかもしれない。
社内で通しやすい理由が欲しいのかもしれない。
失敗したくないのかもしれない。
上司に説明できる材料が欲しいだけかもしれない。
そこを見ないで、こっちの言いたいことだけ並べると、
うまいのに売れない人になる。
これ、あります。
家庭でもそうです。
「ちゃんと話したのに分かってくれない」
夫婦でもあるし、親子でもある。
でも、話した内容より前に、
相手が今どこにいるかを見ていないと届かない。
疲れている相手に正論を置く。
不安な相手に解決策だけを投げる。
迷っている相手に結論を急がせる。
全部正しく見える。
でも、相手の心は閉じる。
人を動かすのが下手な人って、意外と真面目なんです。
ちゃんと伝えようとしている。
ちゃんと分かってもらおうとしている。
その誠実さ自体はほんとうに悪くない。
ただ、誠実さの向きが自分に向いていることがある。
ちゃんと説明した自分。
筋を通した自分。
丁寧に話した自分。
そこまではやった。
だから、動かない相手の問題だ。
こうなる。
でも、人を動かすって、そこから先なんですよね。
相手に何が届くのか。
何なら響くのか。
何が不安で止まっているのか。
何があれば一歩出られるのか。
そこまで見にいく。
これ、面倒です。
すぐには答えも出ない。
人によって違う。
だから難しい。
でも、そこを飛ばして“伝え方のテクニック”に行くと、
だんだん薄くなる。
やたら褒める。
やたら共感する。
質問を増やす。
一見うまそうなんですけど、
相手を見ていないと全部ただの型になります。
人は、型で動かされるのが一番冷めるんですよね。
「あ、そういうマネジメントね」って分かるから。
だから結局、人を動かすって人間理解なんです。
この人は何を守りたいのか。
何に怯えるのか。
何を誇りに思うのか。
どこで火がつくのか。
そこを見る力。
ここがある人の言葉は、派手じゃなくても届く。
逆にここがないと、どれだけうまく話しても空気だけが流れる。
目的がズレると、人は“うまく伝えること”に意識が向きます。
でも本当の目的はそこじゃない。
相手が動ける状態をつくることです。
そのためには、自分の正しさより、相手の動機を見る。
自分の話しやすさより、相手の受け取りやすさを見る。
そこに戻れるかどうか。
人を動かすのが上手い人って、押しが強い人じゃないんです。
相手の中にある小さな火種を見つけるのがうまい人です。
最近あなたが「ちゃんと伝えたのに動かなかった」と感じた相手、
本当に言葉が足りなかったんでしょうか。
それとも、その人が何で動くのかを見ないまま話していただけでしょうか?
世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。