「社長、ちょっと見てもらっていいですか?」
この一言に、すぐ反応できる社長は多いです。
現場のことが気になる。
お客様のことも気になる。
品質も落としたくない。
社員が困っているなら、助けたい。
だから、つい見に行く。
資料を開く。
やり取りを確認する。
「ここはこうした方がいいね」と伝える。
ついでに、別の気になるところも直す。
社員は助かります。
その場の仕事も早く進みます。
お客様にも迷惑がかからない。
でも、そのあと少しだけ空気が変わることがあります。
次も、社長に見てもらってから出そう。
この判断は、社長が決めた方が安全だ。
自分で進めて違ったら怖い。
こうして、現場は少しずつ社長の確認待ちになります。
社長が現場に入ること自体が悪いわけではありません。
小さな会社では、社長が現場を見ているから守れる品質があります。
大事なお客様の対応、初めての案件、大きなトラブル。
そこに社長が入るのは自然なことです。
問題は、入る頻度ではなく、入り方です。
社長が現場に入るたびに答えを出してしまうと、
社員は考える前に待つようになります。
「これは社長ならどうするか」
「この言い方で怒られないか」
「勝手に決めて大丈夫か」
そうやって、判断の軸が自分の中ではなく、社長の表情に移っていく。
ここが怖いんです。
社長は、社員に考えてほしいと思っています。
でも、社員からすると、考える余地が残っていないことがあります。
たとえば、社長がチャットで細かく指摘する。
「この表現は変えて」
「この順番の方がいい」
「このお客様には、この言い方はしないで」
「ここ、前にも言ったよね」
一つひとつは正しい。
むしろ、社長だからこそ見える細かさです。
でも、毎回それが続くと、社員は学ぶより先に守りに入ります。
どう考えるかより、どう指摘されないか。
何が良いかより、何が社長にとって正解か。
お客様の顔より、社長の反応。
現場がそうなってしまうと、社長はさらに言いたくなります。
「もっとお客様を見てほしい」
「自分で考えてほしい」
「言われたことだけじゃなくて、先回りしてほしい」
でも、社員の頭の中には、もう社長がいます。
お客様より先に、社長の声が聞こえている。
これはかなりしんどい状態です。
中間管理職も同じようなことをします。
部下に任せた仕事を、途中で細かく見すぎる。
会議の発言まで先に整える。
お客様への返信も、毎回赤を入れる。
部下が考える前に、「こうした方がいいよ」と言ってしまう。
親切です。
でも、親切が強すぎると、人は自分の頭を使わなくなります。
考えるというのは、少し不安な作業です。
間違えるかもしれない。
ズレるかもしれない。
あとから直されるかもしれない。
その不安を越えて、自分なりに判断して、結果を見る。
そこで初めて、人は育っていきます。
上に立つ人がその不安を全部取り除いてしまうと、現場は安全になります。
でも、育つ機会も減ります。
社長が現場に入るなら、答えを置く前に一拍おきたいんです。
「どう考えた?」
「何を一番大事にした?」
「他に選択肢はあった?」
「どこで迷った?」
この問いがあるだけで、現場は少し考える側に戻ります。
いきなり正解を言われるのと、自分の考えを聞かれるのでは、
受け取る感覚がまったく違います。
もちろん、急ぎの場面ではそんな余裕がない日もあります。
すぐに直さないといけない。
社長が決めた方が早い。
そういう日もある。
ただ、そのあとに何も残さないと、また同じことが起きます。
「今回は急ぎだったから直した。次からは、ここを見て判断してみて」
「このお客様は、早さより安心感を優先した方がいい」
「この金額を超える時だけ相談して。それ以外は進めていい」
こうやって、社長の中にある判断を少し外に出す。
それだけで、現場は次に迷う時間が減ります。
社長が現場に入る意味は、全部を直すことではありません。
社長が見えている景色を、少しずつ現場に渡していくことです。
自分が入らないと品質が落ちる。
そう感じるなら、まだ品質の見方が社長の中にしかないのかもしれません。
自分が決めないと進まない。
そう感じるなら、まだ判断の線が現場に渡っていないのかもしれません。
自分が見ないと不安。
そう感じるなら、仕組みの問題だけでなく、社長自身の怖さもあるのかもしれません。
これは責める話ではありません。
会社を守ってきた社長ほど、現場に入りたくなるのは当然です。
誰よりも失敗を背負ってきたからです。
でも、いつまでも社長が全部を見ていると、社員は安心して失敗することも、
考え切ることもできません。
現場を守ることと、現場の考える余地を奪うことは、紙一重です。
あなたが最近現場に入った時、そこには何が残りましたか。
社長の正解だけが残りましたか。
それとも、次に社員が自分で考えるための余白が残りましたか?
世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。