気の合う人と一緒にいるのは、楽です。
話が合う。
笑うところが同じ。
一緒にいて、疲れない。

でも、正直に言います。
人がいちばん伸びるのは、気の合わない人と関わったときです。

考え方が違う。
大事にしているものが違う。
一緒にいると、正直しんどい。

でも、そのしんどさの中に、学びが埋まっています。

自分と同じ人からは、自分の知っていることしか返ってきません。
「そうだよね」で終わる。
発見が、ない。

自分と違う人からは、思いもよらない角度で話が飛んでくる。
「そういう見方があるのか」と、頭が揺れる。
その揺れが、成長です。

嫌いな人と無理に付き合え、という話ではありません。
我慢して合わせろ、でもない。

でも、「なんだか合わないな」と感じた瞬間に、
心を閉じてしまうのは、もったいない。

その人は、自分にないものを持っているから、合わないのです。
だから、引っかかる。
その引っかかりを見にいくと、たいてい学びがあります。

とくに、注意したいのは、自分が成功しているときです。
うまくいっていると、耳の痛い話が減っていきます。
まわりが、いい顔しか見せなくなる。

そうなると、気の合う人ばかりが残る。
心地はいい。
でも、自分の考えの穴を、誰も教えてくれなくなる。

イエスマンに囲まれた人が、ある日足をすくわれる。
理由は、これです。

だから私は、真っ向からぶつかる相手を、大事にしています。
その人がいるから、自分の見えていない場所が見える。

合わない人と話すときは、勝ち負けを忘れることです。
言い負かそうとすると、学びは消える。
「この人には、何が見えているのか」
そう思って聞くと、同じ会話が宝に変わります。

全部を受け入れる必要はありません。
ただ一度、相手の側から景色を見てみる。
それだけで、自分の視野が一回り広がります。

耳の痛いことを言ってくれる人は、貴重です。
たいていの人は、波風を立てたくないから、黙っています。
それでも言ってくれるのは、こちらを見捨てていない証です。

その一言に、むっとするか。
ありがたく受け取るか。
その差が、数年後に大きく効いてきます。

心地よさの中に、成長はありません。
その引っかかりを、学びに変えられる人が、遠くまで行きます。

あなたの周りに今、耳の痛いことを言ってくれる人はいますか?

世の中の非常識は、華僑の常識。
華僑Jでした。